茶庭の作法と植木屋が考える“守破離”
お庭と茶道の関わりは非常に深いものがあります。
特に茶庭(露地)に設けられる**蹲踞(つくばい)**は、
一級造園技能士の実技試験課題にも含まれる重要な施設です。
しかし実務の現場では、
・役石の配置
・手燭石と湯桶石の左右
・高低差の基準
などについて、文献や流派によって解釈が分かれており、必ずしも統一されたルールがあるわけではありません。
そこで改めて、茶庭の原点である「茶道」そのものから読み解いてみることにしました。
茶道の呼び名と成立
現在「茶道」と呼ばれるものは、もともと**茶湯(さのゆ・ちゃのゆ)**と呼ばれていました。
千利休 は「数寄道」
古田織部 は「茶湯」
小堀遠州 が「茶の道」と称し
やがて江戸中期以降「茶道」という呼称が定着します。
読み方も流派により異なり、表千家などは「さどう」、裏千家は「ちゃどう」と読みます。
呼び名ひとつとっても多様性があることがわかります。
わび茶と茶庭の精神
現代の茶道の基礎となるのは「わび茶」です。
その流れは
村田珠光
武野紹鴎
千利休
へと受け継がれ、安土桃山時代に草庵の茶として大成しました。
豪華さを排し、不完全や簡素の中に美を見出す精神。
精神的な緊張感と、おもてなしの心を重んじる世界です。
茶庭や蹲踞も、その思想の延長線上にあります。
蹲踞(つくばい)の意味と役割
「蹲踞」の語源は、手水の際に身をかがめる「つくばう」姿勢から来ています。
茶室へ入る前に水で手と口を清める所作は、
・身体を清める
・心を整える
・俗世との結界を越える
という意味を持ちます。
単なる設備ではなく、精神的装置とも言える存在です。
過去には、腰痛を患っていた徳川家康に配慮し、
古田織部 が通常より高い位置に据えた例も伝わっています。
「つくばわない蹲踞」。
そこには形式よりも相手を思いやる姿勢が表れています。
手燭石・湯桶石の配置問題
実務上、疑問に感じるのが手燭石と湯桶石の位置と高さです。
主な文献を整理すると、
・職業訓練の教科書にも使われる「造園施工必携」では平成6年発行のものは手燭石の位置は手水鉢の右、平成12年発行のものは左側
高さに関して平成6年発行のものでは手燭石を湯桶石より少し高くするという記載があるが平成12年のものに高さについての内容はみあたらない
・造園施工管理技士の教科書に使われる「造園施工管理(技術編)」の平成8年発行と現行で令和3年発行のでは左側
高さは手燭石がG.L.+18cm、湯桶石がG.L.+16cmと手燭石が2㎝高く表記されている
・造園技能士の教科書に使われる造園実技作業の手引きでは手燭石、湯桶石の記載はないが平面がもう一方よりやや狭いため手燭石であろうと思われるものが左側で反対側よりやや低く据えられている
・上原敬二著の「飛石・手水鉢」、上原敬二編の「石垣園生八重垣伝」とも左に手燭石で湯桶石より低く描かれている
など、必ずしも一貫していません。

さらにネットでは流派によっては、表千家・武者小路千家は左、裏千家は右とする記述も見られます。
裏千家は動作の合理性を重視するとされ、その違いが背景にあるとも言われます。
ただし、明確な史料的根拠が統一されているわけではありません。
手燭石や湯桶石が整備され始めたのは江戸中期以降とされ、形式が徐々に固まっていった可能性もあります。
規矩作法と守破離
利休道歌に
「規矩作法 守り尽くして 破るとも 離るるとても 本を忘るな」
という言葉があります。
まず型を守る。
そのうえで破り、離れ、本質を忘れない。
蹲踞の配置が二択に揺れているのも、精神を重んじた結果、それぞれの解釈が育ったとも考えられます。
茶道が完璧さではなく、不完全や経年変化に美を見出す世界であるならば、
蹲踞もまた固定された正解より「在り方」が重んじられるのかもしれません。
造園と茶道に共通するもの
庭づくりも同じです。
まずは基本を徹底して学ぶ。
そのうえで現場に応じて最適解を探す。
共通の答えを求めるよりも、「守・破・離」を実践し続けること。
蹲踞の前で身をかがめるように、まず自分が低くなり、庭と向き合うことが大切だと感じています。
茶庭・蹲踞の施工は中野の植木屋ウエヨシへ
中野の植木屋ウエヨシは、樹木医・一級造園技能士として
・茶庭(露地)の設計施工
・蹲踞の据付
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・植栽管理
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を承っております。
戸建て、マンション、事業所まで対応可能です。
対応エリア
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まで対応しております。
“植”木もひとも“喜”ぶ庭づくり
茶庭も、現代の庭も、形の奥にある精神を大切に。
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